今月は、まるでメンタル月間かと思うくらい、
心理的なことにフォーカスしています。
月末のまとめとして、
浮かんできたことを書き留めておきます。
この先私が自分でこれを読み返して、
一体どんな風に感じるのか、
それを検証したいというのもあります。
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あちこちでいろんな方が、
「リウマチになる人っていうのは妬みや僻みが強い」
とか、
「恨み辛みが多い」
と言ってるのを見つけて、唖然…。
えー、そうなの?
他人が何しようと、
羨ましいとも思いませんよ、私。
一瞬だけ「へ〜」と思うかもしれないけど、
だから何?と。
ずっと平気だと思っていました。
しかし、
そんな数々のコメントが引き金になったのか、
逆に今、
「あ、そうなんだ。ずるくない?」と、
他人の様子を見て思うようになってしまいました。
寝る子を起こした感じ?
そして、
私が人を羨んだり妬んだりというだけでなく、
他人の妬みや恨みが、
私の病気を引き起こしたとも言えると聞き、
スーッとふに落ちました。
これ迄にしてきた親不孝子不幸の数々、
きっと私はたくさんの人に恨まれているに違いない、と。
***
先日の斉藤ひとりさんの動画にあったことば、
「病気の人は自分が被害者だと思ってる」
私の脳内にリフレイン…。
だって私、
被害者でしょ?、と。
来たくもないカナダへ連れて来られ、
(リヤドの赴任後、私は日本へ帰りたかった)
こんな田舎に住み、
(公共交通機関が何もない)
夫の趣味に付き合わされ、
(私は車もその運転も大嫌い)
夫の母の面倒を丸投げされて、
(あの人は難しい人だと誰もが言う。そのうえ軽い認知症)
被害者じゃなかったら、何なんですか、私?
病気だから被害者なのではなく、
配偶者とその家族のワガママを押しつけられ、
振り回されたのは紛れもない事実。
我慢するから病気になる、
私はそっちの方を強調したいです。
我慢すると感覚が麻痺して、
誰が正しいのか分からなくなる。
そうなる前に逃げるべきです。
***
最近見ていたドラマ『Kevin Can F**k Himself』が、
とても印象的でした。
あまりにも共感することが多くて、
思わず涙が溢れ…。
北米の典型的なファミリーコメディですが、
色付きの夫側の場面と暗い妻側がパラレルで進行。
なぜ主人公は今の夫と結婚したの?と謎でしたけど、
その理由が分かって、
益々泣けてしまいました。
教育が足りない、
狭いコミュニティー(田舎)の暮らし、
女であることの辛さがマックスです。
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そして極め付けなのは、小林正観さんの談話。
自我:
ー1 拗ねる、くさる、ひがむ
ー2 不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句
ー3 イライラする、腹を立てる、威張る、怒鳴る、怒る
ー4 恨む、憎む、呪う
ー5 敵対する、攻撃、喧嘩
ー6 殺傷する
これらの感情が、
人間に本来与えられている7つの感情、
1明るさ
2暖かさ
3優しさ
4自分に対する厳しさ
5奥深さ
6謙虚さ
7感謝の心
を押し潰してしまう。
今の夫との暮らしだけでなく、
これ迄の自分の人生全てにおいて、
自分でも気づかぬうちに鬱積したものが、
病気となって自分を攻撃しているのかもしれません…。
***
また、斉藤一人さんの、
いろんな方々の講話、談話の中で、
どの方も決まって「感謝する」ことを強調されています。
病気にさえも。
癌になってさえ、感謝しろと。
余命宣告されたのなら、
仕事もやめて好きなことができる。
終活もできる。
うーん、そうかな…。
実際に癌になり余命宣告された時って、
もう何もかもが遅いような気がしますけど。
事実、家族を癌でなくしているから言えますが、
壮絶すぎます。
現実に今、私に起こっていることに目を向けてみます。
こんなに痛みで苦しんでいるのに、
感謝しろなんて、
あまりにも残酷じゃないですか?
ずっと、
そう思っていたのですが。
小林正観さんの言葉に、
「私が病気になったのは、
家族の分の病を引き受けるため」
それを聞いて、
「ならいっか…」
そう思えるようになりつつあります。
遠く離れた日本の家族の分を、
私が引き受けることで彼らが元気でいられるなら、
それはそれで良いかな、と。
また、夫でなく、
私でよかったとも思います。
彼は私のように我慢強くないので、
じっと耐えることはできないでしょう、きっと。
それならやっぱり、
他の誰でもなく私が病気で良かったのかなと。
感謝にはほど遠いけど、
なんとなく一歩前進?な気持ちになったのでした。